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その言語で考えるということ [Writing]

 L2のライティングの授業で、よく先生が言うこと、させること。「○○語(学習言語)で考えなさい」「○○語(学習言語)でメモを書きなさい」。これは、どうしてそうなのか、先生はどれほどわかっているのだろうか。

 わたしも、以前、こんなことを言っていた時期があった。その言語で活動すること、それ自体が、学習になると思っていた。つまり、その言語を使う時間がそれだけ多いわけであり、それが学習になると思っていた。

 今は、わかる。大きな間違い。まさに、教師の、そして、母語話者のエゴ。

 ライティングのクラスなのだから、ライティングを完成すること、また、完成させるまでのライティングの作業周辺のことに、注目すべきである。その言語を使う時間を少しでも長く・・・、とは、なんとターゲットの絞られていない、説明になっていない信念か。書き手に苦労も何も丸投げしていると言っても過言ではない。

 学習言語で考えたりメモをとったりすること自体を責めているのではない。そのことは、今でも、大切なことだと思う。ただし、それは、そうすることで、まさに今書いているものがよくなる、というものではなく、その書き手自身が、「その言語における書き手」としての成長につながる、のだ。

 どういうことかというと・・・

 少し前のこと。


言語能力に対する印象 -文字と音声 [Writing]

 最近、タイの人とやりとりをしている。そのときに感じたこと。

 最初は、メールのやりとりだった。使う言語は、英語。タイ側の彼女からのテキストを受け取り、わたしがそれに返信をする、ということを何度かした。

 彼女のメールのテキストは、タイプミスが多かった。文法も間違っているところがあった。彼女のラストネームは欧米っぽいけど、ファーストネームはまさにタイのそれなので、きっと、日本語ネイティブのわたしがそうしているように、あちらのタイ語ネイティブも、よっこらよっこら英文をタイプしているのだろうな、と思っていた。

 「あなたの英語はまだまだよ」という見方では全くないけど、ただ、言語能力としてそうなんだな、と思っていた。

 彼女のテキストは、タイ語の影響かどうなのか分からないけれど、ときどき尻切れとんぼで、「だからどうしたらいいの?」「それでどうしたいの?」と聞きたくなるようなことがときどきあり、何度もやりとりをすることになった。ちょっと疲れてしまって、最終的に、わたしが国際電話をかけることになった。

 そして、電話口に出た彼女。英語ネイティブだった。わたしの耳には。

 会話の進め方、話す内容は、英語ネイティブのアメリカ人とは確かに違う。しかし、流暢さ、語彙の豊富さ、あいづちのうちかた、発音、声のトーン、そのあたりは、まさにネイティブだった。
 
 文字という形で外的に明確に表されると、問題にならないぐらいの小さな間違い、違いに気が付いてしまう。コミュニケーションに全く支障がなくても、どんなに小さくても、ただ「間違いがある」というだけで、全体の印象に少なからず影響を与えてしまう。ライティングだと正確性に、スピーキングだと流暢性に、どうも注意が向いてしまう。評価の対象としてしまう。

 改めて、文字情報とは、おそろしいものだと感じた。


学生の作文に教師はどう答えるか [Writing]

Goldstein, L. M. 2004. Questions and answers about teacher written commentary and student revision: teachers and students working together. Journal of Second Language Writing. 13. 63-80.

 今日の9amからのクラスのリーディング。簡単にまとめる。

 タイトルの通り、学生の書いた作文に、教師はなんと答え、どのように答えたらよいか、について考えているペーパー。具体的にどのような手段があり、その場合は、何を考慮すべきか、どのような危険性があるか。学生のcommentaryに対する態度のバリエーションは、何を意味するのか。教師は、どのようなことに盲目になってしまう危険があるか。等について書かれている。

 短いペーパーだ。読みやすい。現場で、このような問題に直面している教師には、ありがたい1本かもしれない。特に、具体的に、commentaryにはどのような手段があるか、などでは、communicativeな活動がまだまだ浸透していない感のあるL2日本語のwritingクラスでは、耳を傾けても良いところが多いだろう。実際、Goldsteinは英語教師で、これをTESOL conference(世界のL2英語教師が集まる学会)で発表してとのことなので、現場に焦点をあてて書かれているのも、うなずける。

 反面、広く、浅い。わたしは、ここが物足りない。純粋な「研究」ではないから、仕方がないのか。

 以下、私のbiasの入った要約(私のbiasは往々にしてとても強い)。
= = = = =
 (大大大前提:このwritingのcommentaryというのは、いくつかの段落があり、トピックのある文章を書くwriting taskで行われるものが想定されている。Linguistical features(i.e. grammatical accuracy, sentence complexity, etc.)の到達度をチェックしようとする目的はない。

○"appropriation"と"helpful intervention"
appropriation: 学生の目的を無視し、教師の目標を学生の目標にスライドし、学生がそれを書いた意図を汲むことなく、「修正」を行うこと
helpful invention: 学生がどこまでできたかを示し、学生に違う角度からもう一度考えてみることを提案し、適切な言語表現が見つけられるように、その文章から何が言いたかったのかを問いかけること
 -->"helpful intervention"はとても聞こえが良い。鵜呑みにしてしまいそうになる。が、よく読むと、結局、建設的でないcommnetaryになってしまう危険性も多い。注意しないと、あまりに抽象的になるかも(<--ココ、あとで出てくる)

○commentaryの手段
 "cover letter"は、文章を書いた紙とは別に、何が言いたかったか、何が心配か、何を見て欲しいか、などを学生が書いて一緒に提出するもの(<--私は、これが学生のL1でできたら良いのに・・・と思う)。"conference"は、面と向かい合って、話すこと(<--これは、燃費が悪そうだが、あとでどうしても必要なときが出てくる)。

○学生のcommentaryに対する態度
何も考えずに、教師のcommentaryに沿うばかりの学生、逆にcommentaryを全く無視する学生、どちらもいる。前者を「良い学生」、後者を「問題学生」と捉えたら、大間違い。どちらも、additional careが必要な学生。特に後者。Writing自体に不安を持っている、などの問題であるなら、conferenceなどを行い、声を聞く必要がある。前者については、教師の自分の"power"を振り返る必要がある。クラスを「支配」していやしないか。

○学生の声を聞こう
「一度ペンを置いて、メッセージを読み、意見を聞くことに集中してみよう」とな。よく考えれば、よく考えなくても、当たり前のことだ。L2言語教師は、時として、当たり前のことをすっかり忘れてしまっている。文章を読むのだから、文章の内容に集中するのは当然(<--ココ、mamemama意見)。Macroに考えよう。

・・・あ、クラスに行かないといけないので、また続きは次回。


The inner voice in writing [Writing]

Chenoweth, N. A. and Hayes, J. H. 2003. The inner voice in writing. Written communication. 20-1. p.99-118

 私の研究の、重要な位置にある論文だ。今、何度目だろう、また読もうとしている。読むたびに、その時々の自分の関心事が違うので、新しい発見がある。今回は、どんなことになるか、少し楽しみ。

 それを読む前に、あるクラスのペーパーを書いている。そして、"Inner voice"を実感した。"Inner voice"はやっぱり、ある! それも、心理的なところにではなく、身体的(biologically)に、ある!と分かった。

 というのも・・・しばらくひどい風邪をひいているが、今、声がつぶれている状態だ。声を失った、というべきか。とにかく、出ない。自分がどうやって声を出していたのかすら、思い出せないくらい、全く出ない。

 という状況で、ペーパーを書く(英語で)。キーボードでパタパタとタイピングをしていると、静かに打っているだけのはずなのに、「あ、そういえば、今声でないんだったっけ」と気が付く。そして、なんだか書きづらい。

 頭の中で、音が動いているのではない。実際にのどなどの筋肉も動いているに違いない、と思う。そうでないと、自分のこの状況が説明できないではないか。

 私が、L2でライティングをしているから、というのもあるかもしれない。すっかり慣れている日本語のライティング(今、まさにしている)では、そんなに感じないように思えるからだ。

ライティングは、fine motor skill(細かな筋肉の運動能力)を必要とする言語タスクだ。指先だけでなく、喉も、スピーキングのときのように使っているようだ。

 実験のアイデアに繋がるかどうかは別として、この考え方は、大切に心にとめておこうと思う。


Writing = 作文 ではない [Writing]

 私の研究の興味は、「writing」である。「ライティング」でもいい。しかし、「作文」ではない。

 もしかしたら、自分の考え方は、世間一般の考え方とはずれているのかもしれない。と思い、電子辞典で『広辞苑』と『リーダーズ英和辞典』をひいた。
 
さくぶん[作文]
1) 文章を作ること。また、その作った文章。 
2) 教師の指導のもとに児童・生徒が文章を作ること。綴り方。国語科の一分科。
3) 形だけでは整っているが内容の乏しいもののたとえ

writing -n.
1) 書くこと、執筆、作曲、手習い、習字、書字;書法、筆跡、著述業
2) (人の)書;文書、書類、書付け;碑銘、銘;著作

 『広辞苑』の意味の中で、3)の意味があるとは、初耳だった。どのように使われるのだろうか。1)、 2)は知っていた。

 最初に戻るが、やはり、「writing」と「作文」は違うことが分かった。さらに、私はやはり、「作文」ではなく、「writing」に興味を持っていることが分かった。上の「writing」の説明のなかの、冒頭の言葉、「書くこと」これが、私の見ている「writing」である。

 私の考えている「writing」は、「作文」よりももっともっと、意味が広い。まず、文章に限らない。一文字でもいい。もっと言えば、ただ線を書く、ということ。それも「writing」の範疇に入る。「listening」が、談話に限らず、一単語、一音でも、そうであると言われるように、である。

 また、結果的に文字、もしくは文字を目指した線(or点)が生み出されれば「writing」になるわけで、だから、「書く」と一言で言っても、手書きである必要もなく、コンピュータにタイピングすることも「writing」に入る。

 そして、なにより私が最も、自分の考えている「writing」として、確認しておかなければならないことは、「産出されたもの」ではなく、「産出すること」に興味を持っている、ということだ。言語処理、language processingの一つとしての、「writing」だ。

 このような研究は、残念ながら、少ない。日本語教育界はもとより、そもそも、言語心理学の世界でも、4技能のうち、writingが最も研究が少ない。ましてや、日本語 as a second languageともなると、なおさらである。

 「面白い分野であるはずなのに、まだまだ研究は進んでないわ。日本語を見る、ということも、この世界(言語心理学)に面白い見解を与えることになるわ。なんでも、できることはたっくさんころがっているわ!がんばって!!」

 先生から、このようなエールをいただいた。文献を探しながら、きっとそうなんだろう、とは思っていたけれど、言語心理学の第一線の方に、こんなことを言われたら、本当にそうなんだ、と納得してしまった。

 何でもできる、といって喜ぶべきか。先行研究が乏しすぎる、といって悲しむべきか。前者の心持ちで望みたい。


Second Language Writing Systems [Writing]

Cooc, V. and Bassetto, B. (2005). Second Language Writing Systems. Second Language Acquisition series 11. Multilingual Matters Ltd.

 私が、研究者として、教師として、女性として、なによりも人として敬愛してやまない、我がDepartmentのL2 Writingを専門にされている先生から紹介していただいた本。恥ずかしながら、紹介していただくまで、この本の存在を知らなかった。

 「L2 writingを認知心理学観点から見ていきたいんです。Writingのproductではなく、processを見たいんです」と彼女に話すと、「4週間貸してあげるからその間に読みなさい」と、研究室の本棚からこの本を出してくださった。

Second Language Writing Systems (Second Language Acquisition)

 目下の課題図書である。タイトルに"system"となっているが、まさに、Writingに関わるsystemをあらゆる角度から、詳しく見ていこうとしている。Writingのprocessについて書かれた本はいくつかあれど、この本のように、心理学と教育の現場が結びつけられた本は、今まで出会ったことがなかった。1) Writingそのもの 2) Readingとの関わり 3) Awarenessとの関わり 4) 教育での取り上げ方 など、多方面から説明しようとしている本として、これは貴重である。じっくり読んでいきたい。

 この本のシリーズ、"Second Language Acquisition series"に、他にどんなものがあるのか、そちらも気になるところ。各方面のスペシャリストが寄稿するというスタイルのこのシリーズ。なかなか読み応えがある。


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