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直説法or間接法 - 「附に落ちる」の記憶強度 [Cognitive Psychology]

お知らせ: 現在、わたくしmamemamaはタイランドにおります。こちらで同じお仕事をすることになったのです。

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 分類を"Cognitive psychology"とするか、"Pedagogy"とするか、ちょっと悩んだ記事。これは、言語教育の教授法を考える場合のアイデアを提供するものになるから。

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 第二言語教育では、「直接法」で教えるか、「間接法」つまり学習者の母語を仲介言語として用いて教えるか、という選択肢があり、それぞれ現場では、その環境や学習者たち、教師自身の言語能力などを考慮にいれながら、それらを選択する。

 どちらも長所と短所があり、どちらが良い、という結論をつけるのは難しい。しかし、タイに来て、わたしが体験したこんなことを、認知心理学的に考えてみたところ、ちょっとおもしろい示唆を与えるものになった。

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 タイに来て、タイ語の全くできないわたしは、毎日サバイバルタイ語で生きている。暮らしている村には、英語を話す人がおらず、しかし、村人たちは、容赦なくわたしにタイ語で話してくる。

 話の内容はよく分からなくても、状況から、「あー、この人は自己紹介をしているんだな」ということが分かり、そして、その人の名前を一生懸命聴き取り、覚えようとする。頭の中に何人かの名前がストックされたころ、ふと気がつく。

 クンサック、クンヤラー、クンペーン・・・。タイ人の名前って、名前の頭に「クン」がつくのが多いな・・・。

 そして、ある日お隣のおばちゃんと話していると、「クンマーク」とか「クンサラー」という名前の人が登場するのに気がつく。文脈から察するに、同じブロックに住むアメリカ人カップルのことを言っているんだけど、・・・でも、彼らの名前は「クンマーク」でもなく、「クンサラー」でもない。マークとセイラ・・・。ん?Mark and Sarah?
 
 そして、やっと気がつく。タイ語では、"クン"を名前の前につけて人を呼ぶんだー、と。日本人のボディー・ランゲージで言えば、ここで手をぽんっと打つ感じ。なーるほどー、という感じ。

 そして、タイ語学習者であるわたしは、近所のタイ人と話すときに、この「クン」を使ってみる。すると、すんなり通じる。おー、おもしろい!

 ある日、接続の申し込みをしていたインターネット会社から、電話がかかる。「クンマメと話したいのですが・・・」あ、来た、来た!「はーい。わたしがクンマメですが・・・」と話し始める。

 日本語の「さん」や「くん」は、性別によって使い分けるし、自分を名乗るときには使わない。でも、タイ語の「クン」は、これまでの体験からどうもそうではない様子なので、自分にも使ってみたところ、すんなり通じた。ここで、わたしは「附に落ちた」わけだ。

 この「クン」の例は、直説法で教わった獲得の仕方に近い。では、間接法だとどうなるだろう。

 わたしが解する言語である日本語か英語で、「タイ語では、名前の前に"クン"をつける」と先生に習って、で、日本語を母語とするわたしが「日本語では自分には使わないけど、タイ語ではどうなの?」と質問して、先生が「タイ語では自分にも使います」と説明してくれる。

 このふたつの道、かかる時間は、圧倒的に間接法のほうが短い(この記事でも、わたしは、なんとたった1文で説明しきっている)。しかも、直説法のほうでは、わたしは途中でコミュニケーションに成功していないし、誤解も起こっている。それに、「王様には使っちゃだめ」とか、そういう補足的注意(もし、あれば)をわたしはまだ知らないので、完全に獲得したとは言えない。では、「経済的だし、危険も少ないし、やはり間接法のほうが良い」と言えるだろうか。

 わたしの、この「クン」の獲得に関して言うと、直説法と間接法では、圧倒的に直説法のほうが"Episodic memories(エピソード記憶)"の数が多く、そして、強度が強い。わたしは、時間をかけて咀嚼し、自分の持っている知識などを自ら総動員させて試行錯誤をしている。

 分かりやすく言うと、日本に昔からある言葉遊びで、「○○とかけて、▽▽ととく。さて、その心は」というものに近い。聞き手の観客は、むむ?とちょっと考えて、答えが分かったときは、「ははー、そうきたか。うまいもんだな」となるわけで、これは、「○○と▽▽とには、××という共通点があります」と説明されるよりも、記憶強度が強いことは、納得していただけるだろう。

 この、「クン」のような、非常に単純な項目なら、記憶強度は問題にならないかもしれない。しかし、もう少し複雑な文法項目であったり、学習者の母語との間に微妙な「ずれ」があり、なんとも説明しにくかったりした場合、この「附に落ちる」があるとないとでは、ずいぶん獲得の速度も強度も違うと思うのだが・・・。

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 Episodic memoryの視点から、直説法と間接法を考える、という研究は、実は、少し前から興味を持っている。認知心理学という、人の心理にスポットライトをあてて科学的に捉えようとする学問が、言語教育の現場に示唆を与えることができるテーマだと思っている。


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コメント 6

sとこ

このエピソード,よく分かる.
私がタイに行ったときも,全く同じように,
タイ語がちんぷんかんぷんだったのに,街の中の人,
学生は容赦なくタイ語で話しかけてくる・・・.
そんな中でなんとなーく法則が分かってきて
後でそれを本で確かめたりして理解してた.
だから,記憶痕跡がほかの言語より鮮やかで
忘れない.
間接法だと,苦しんだり,考えたりが少ない分,
ストレスもないけど,定着度はそれほど高くないことが多い.

この直説法の効果が,思考が深かった結果なのか,
エピソード的側面が多いからなのかは分からないけど.
by sとこ (2007-02-01 23:37) 

mamemama

Episodic memoryじゃないかもー、というか、そっちでいくと結論でないかもー、と今思っているところ。本文の噺家のところが一番的を射ていて、ようするに、「あれ?」と思ってから納得したことと、ただ説明を聞いただけのものとでは、ちがうのでは、という感じ。

説明受け群と疑問解決群の2群にして、実験のデザイン的には、結構シンプルに組み立てられそう、と思っているのだけど。材料と、その背景を探るところが、きっと難儀。「背景」とは、sとこの言う、思考の深度かエピソードか、などを考えるところ。

やっぱり、実験って、始めるまでが大変よねー。
コメント、コップンカー!
by mamemama (2007-02-03 10:26) 

sとこ

マイ・ペン・ライ・カー!
このテーマ,おもしろいから,もっと考えてみるね.
そして,何かひらめいたらまたここの記事にコメント残すかも.
そのときはよろしくお願いいたしまする.

もし実験するんだったら,統制群はどうしたらいいのかなー.
理解するのが自力か他力か,に対して何をコントロールにすればいいのかな.
説明受け群は,一見統制群になりそうだけど,ほんとに
これで十分かなー.何かもっとベースとして使える条件はないかなー.

わたくし,そろそろ博論を書くための実験をする予定なのだけど,
これもまた,材料の統制や,条件の統制やカウンターバランスの取り方が
なかなか大変.考えることがたくさーんあって,大変な反面楽しい.

実験って,大変だけど,楽しいよねー.
by sとこ (2007-02-04 00:14) 

mamemama

まず、「疑問解決群(仮)」の、どこをもってそれとするかを考えないと、難しいね。最初に疑問があるところなのか、自分でゴールに向かうところなのか、そのふたつが両方あったら、実験的にシンプルにいかないから、群も分けられない。

博論、どんなことになってるのか、よく知らんけど、ゼミ内でなんだかホットなトピックになってるみたいだし、ディスカッションもできていいんじゃない?

ディスカッションって、とても必要。
・・・と、今ひとりになってしみじみ思うよー。

アイデアひらめいたら、おしえてねー。
by mamemama (2007-02-05 21:29) 

sとこ

実は,テーマを,修論のに戻したのだ.
あまりにもホットすぎるけど,あまりにも不明なところが多くて・・・.
しかも,しばらく離れて過ごしてみると,よさ(おもしろさ)がよく分かるように
なったので,元の鞘に戻ることにしたわ.

ところで,最初の記事の噺家の例だけど,これって,情報のネットワークを
活性化させることによる効果なんかなー.ターゲットそのものだけじゃなくて
ターゲットとつながってるネットワークがピコピコと活性化させられることで
検索手がかりが多くなって想起するときにうまく行くのかなー.

ターゲットそのものをふかーく処理するか,周辺的なものも含めて処理するか,
どっちが効果的かってことにも興味があるなー.デザインは難しそうだけど.

・・・何か,最初の問題提起とずれてる・・・?
by sとこ (2007-02-05 21:45) 

mamemama

修論に戻したんだったら、やっぱり、トム(覚えとる?)の研究に触れて欲しいー!ぜっっっっったい、関係ある、というか、ないわけない。わたしがゼミに出席していたら、絶対つっこんでるよ。触れないんだったら、それ相当の理由がほしいー。脅迫?

その周辺の研究も、新しいけど、結構すすんどるよ。
Zawaanも書いてる。

「想起するときにうまくいく」というのは、実験後のテストかなにかで、ということになるのかな?わたしは、記憶を探るところではなくて、記憶を「刻む」ところに目を向けたい。でも、テストとしては、再認とか再生とか「探る」ことしかできないんだよねー。でも、なんか、ずれてるような気がする。もっと違うテストがあるのかなー。

なんとなく、「これについて勉強したことがあるか、ないか」みたいなレベルのものでも、できるんじゃないかなー、という気がする。詳しい内容でなくても、それそのものに出会っことを覚えているかどうか、みたいな。

やっぱり、なかなかすんなりとは進まないねー。
by mamemama (2007-02-08 00:23) 

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