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AHA! 効果 [Cognitive Psychology]

 だいぶん前に書いて、忘れかけていたこと。「腑に落ちる」の記憶強度について。

 あのときは、とても興味があって、興奮気味だった。自分だ大学院などの研究ができる機関に所属していたら、すぐに関連文献にあたって、調べていたことだろう。でも、仕事をしながら、しかも、K-12という、研究とは遠いところに身をおくと、そうはいかない。しかも、体はバンコクだし。

 ランチを食べながら、同僚先生たちとうやうやと話す。AlohaとEricは、いつものメンバー。AlohaはPhDを、EricはMasterを、オンラインでとっている。2人ともプロの写真家でもある。テクノロジーと、イメージと、アイデアと、それらがどう、子どもたちの教育につながるか。いつもわたしたちの間にあるテーマ。いつも、いつも、興味深いテーマがある。

 先日、「AHA!効果」について話していた。これはわたしがずいぶん前に興味津々だった、あのことに関係しているんだ。まさしく、自分に"AHA"が起こった。

 言語教師、言語教育の世界にいると、すぐに、言語的なアプローチをとってしまいがち。教育は、普遍なテーマがあって、いくらターゲットが言語だからといって、それを無視することはできない。そこから多くを学ばなければいけない。

 "AHA"の方向から、「腑に落ちる」を考えてみたい。やはり、研究文献にあたりたい。研究方法、理論を噛み砕くこと、批判的にも読み砕くこと、自分の中のものと照らし合わせること、全部大学院で学んだ。それが自分の中にあること。感謝したい。

 勉強はおもしろい。

直説法or間接法 - 「附に落ちる」の記憶強度 [Cognitive Psychology]

お知らせ: 現在、わたくしmamemamaはタイランドにおります。こちらで同じお仕事をすることになったのです。

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 分類を"Cognitive psychology"とするか、"Pedagogy"とするか、ちょっと悩んだ記事。これは、言語教育の教授法を考える場合のアイデアを提供するものになるから。

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 第二言語教育では、「直接法」で教えるか、「間接法」つまり学習者の母語を仲介言語として用いて教えるか、という選択肢があり、それぞれ現場では、その環境や学習者たち、教師自身の言語能力などを考慮にいれながら、それらを選択する。

 どちらも長所と短所があり、どちらが良い、という結論をつけるのは難しい。しかし、タイに来て、わたしが体験したこんなことを、認知心理学的に考えてみたところ、ちょっとおもしろい示唆を与えるものになった。

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 タイに来て、タイ語の全くできないわたしは、毎日サバイバルタイ語で生きている。暮らしている村には、英語を話す人がおらず、しかし、村人たちは、容赦なくわたしにタイ語で話してくる。

 話の内容はよく分からなくても、状況から、「あー、この人は自己紹介をしているんだな」ということが分かり、そして、その人の名前を一生懸命聴き取り、覚えようとする。頭の中に何人かの名前がストックされたころ、ふと気がつく。

 クンサック、クンヤラー、クンペーン・・・。タイ人の名前って、名前の頭に「クン」がつくのが多いな・・・。

 そして、ある日お隣のおばちゃんと話していると、「クンマーク」とか「クンサラー」という名前の人が登場するのに気がつく。文脈から察するに、同じブロックに住むアメリカ人カップルのことを言っているんだけど、・・・でも、彼らの名前は「クンマーク」でもなく、「クンサラー」でもない。マークとセイラ・・・。ん?Mark and Sarah?
 
 そして、やっと気がつく。タイ語では、"クン"を名前の前につけて人を呼ぶんだー、と。日本人のボディー・ランゲージで言えば、ここで手をぽんっと打つ感じ。なーるほどー、という感じ。

 そして、タイ語学習者であるわたしは、近所のタイ人と話すときに、この「クン」を使ってみる。すると、すんなり通じる。おー、おもしろい!

 ある日、接続の申し込みをしていたインターネット会社から、電話がかかる。「クンマメと話したいのですが・・・」あ、来た、来た!「はーい。わたしがクンマメですが・・・」と話し始める。

 日本語の「さん」や「くん」は、性別によって使い分けるし、自分を名乗るときには使わない。でも、タイ語の「クン」は、これまでの体験からどうもそうではない様子なので、自分にも使ってみたところ、すんなり通じた。ここで、わたしは「附に落ちた」わけだ。

 この「クン」の例は、直説法で教わった獲得の仕方に近い。では、間接法だとどうなるだろう。

 わたしが解する言語である日本語か英語で、「タイ語では、名前の前に"クン"をつける」と先生に習って、で、日本語を母語とするわたしが「日本語では自分には使わないけど、タイ語ではどうなの?」と質問して、先生が「タイ語では自分にも使います」と説明してくれる。

 このふたつの道、かかる時間は、圧倒的に間接法のほうが短い(この記事でも、わたしは、なんとたった1文で説明しきっている)。しかも、直説法のほうでは、わたしは途中でコミュニケーションに成功していないし、誤解も起こっている。それに、「王様には使っちゃだめ」とか、そういう補足的注意(もし、あれば)をわたしはまだ知らないので、完全に獲得したとは言えない。では、「経済的だし、危険も少ないし、やはり間接法のほうが良い」と言えるだろうか。

 わたしの、この「クン」の獲得に関して言うと、直説法と間接法では、圧倒的に直説法のほうが"Episodic memories(エピソード記憶)"の数が多く、そして、強度が強い。わたしは、時間をかけて咀嚼し、自分の持っている知識などを自ら総動員させて試行錯誤をしている。

 分かりやすく言うと、日本に昔からある言葉遊びで、「○○とかけて、▽▽ととく。さて、その心は」というものに近い。聞き手の観客は、むむ?とちょっと考えて、答えが分かったときは、「ははー、そうきたか。うまいもんだな」となるわけで、これは、「○○と▽▽とには、××という共通点があります」と説明されるよりも、記憶強度が強いことは、納得していただけるだろう。

 この、「クン」のような、非常に単純な項目なら、記憶強度は問題にならないかもしれない。しかし、もう少し複雑な文法項目であったり、学習者の母語との間に微妙な「ずれ」があり、なんとも説明しにくかったりした場合、この「附に落ちる」があるとないとでは、ずいぶん獲得の速度も強度も違うと思うのだが・・・。

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 Episodic memoryの視点から、直説法と間接法を考える、という研究は、実は、少し前から興味を持っている。認知心理学という、人の心理にスポットライトをあてて科学的に捉えようとする学問が、言語教育の現場に示唆を与えることができるテーマだと思っている。


言語的情報とworking memory [Cognitive Psychology]

 今日のクラスで読んだ論文に、working memoryが関係するものがあった。で、先生が、クラスの中で、working memoryについて明るくない学生のために、簡単に説明をした。

 それが、私には、・・・へ?だった。

 Verbal(言語的)なものは、すべて、phonological loopに行くのだと、Verbal以外が、visio spatial sketch padに行くのだと。

 そーなん?そーなん?ほんま?衝撃だった。

 つまり、文字もphonological loopに行くわけで、それって、どうやって説明できるの?謎は深まる。私は、今でも、先生の説明は自分の聞き取りミスだと思っている。

 その論文というのは、Chenoweth and Hayes (2003) Inner voice of writingだったのだが(近いうちに要約を書きます)、彼ら自身、working memoryと絡めたmodelを出しているし、そのモデルが、上に書いたような考えに基づいているとしたら、それは、それは、もう大変なミスではないか?ちなみに、Kellog(1996)のa model of working memory in writingでは、phonological loopもvisio spatial sketchpadも、両方関係していたぞ。

 先生にメールを書いて、真偽のほどを確かめよう。結果は、追ってまた書きます。(やっぱり聞き取りミスだったー、となる可能性、あり)

(Chenoweth and Hayes, 2003は、research questionは興味深いのですが、実験のデザインや結果の分析が、どうも「粗い」ように思えて、この論文をどう扱ってよいものやら、最近、困っています。私は、言語心理学の実験的研究に明るい方、そうじゃなくても、これに真摯な興味のある方と、これについてディスカッションがしたいです。今日のクラスは、ちょっとえらそうな書き方をしますが、ディスカッションを深めるには、人数が多すぎたし、背景知識に差が大きすぎました。無念。量的・実験研究は、知識がないと読めないし、その知識から説明しないといけないとなると、ディスカッションは進まないのです。)


Cognitive Psychologyのテキスト [Cognitive Psychology]

 今学期履修しているクラスのうちのひとつ、"Cognitive Psychology"、日本語で「認知心理学」のクラスでは、この本をテキストとして使っている。

Cognitive Psychology And Its Implications

Cognitive Psychology And Its Implications

  • 作者: John R. Anderson
  • 出版社/メーカー: Worth Pub
  • 発売日: 2004/12/01
  • メディア: ハードカバー


 このテキスト、本当に「テキスト」だ。どういう意味かというと、初心者にも分かりやすく、太字や挿絵を入れながら、分かりやすく説明してくれている。とっても親切である。このクラス、履修しようかどうしようか、実は最初迷っていたけど、テキストを立ち読みして、履修することを決めたのだ。

 ただの用語説明、セオリー説明だけではなく、実際行われた実験について、たくさん、そして詳しく取り上げているのも、とても勉強になる。このおかげで、CogPsychoの論理の展開がつかみやすくなった。

 このテキストだけでも、十分な情報量だが、実際のクラスでは、先生がその3倍ぐらい細かく、でも分かりやすくPower Pointを使って説明してくれる。やっぱり、ただ本を読むのと、先生(これがまたかっこいい)が、口や手やら色々使って騒がしく説明してくれるのとでは、大違い。クラスは、とっても楽しい。

 80人以上はいようか、という大きなクラスだが、毎回必ず、Participant Demoというコーナーがあって、そこでは、テキストなどに紹介されている実験を、立候補した学生が被験者になって、実際に前でやってみる。

 「げー、さっきはできたのにー。なんでできないの?」とか「あ、間違えた。あ、また間違えた。ぷぷぷー。」などの、被験者の様子を目の当たりにできて、実験の仕組みが頭に残りやすい。ふむふむ。

 実は、今日、この"Cognitive Psychology"のクラスのmid-term(中間試験のようなもの)があった。Chapter 13のうちの、1~5が出題範囲。情報満載だった。ふらふらだった。私の脳は、フル回転だった・・・。

 素晴らしい手応えは、残念ながらなかった。でも、お手上げでもなかった。結果どうこうより、「勉強って楽しい」と本当に思わせてくれるクラスで、一区切りついて、自分の頭も整理できて、「私、まだついていけてるな」という感触がある。そのことが、嬉しい。

 来週から、またがんばろう。

(英語で書かれた認知心理学関係の論文を多く読まれる方は、このような本を1冊持っておかれると、辞書代わりにもなって便利かもしれません。最後についているIndexや参考文献一覧、などは、とても便利です。)


物体知覚 2Dを3Dに+α [Cognitive Psychology]

 私たちは、身の回りの色々な物体を知覚し、脳が「これは丸い」とか「これとこれは離れている」「この線とこの線は実は1本」などのように情報を解析している。脳の働きを、あたかもコンピュータのように、データを処理する部品のような感覚で解き明かしていこうとするのも、Cognitive Psychologyのひとつの特徴だと思う。脳が、どのようにデータを処理しているのか、どのような信号が、どのような解答を生むのか、それを探していく。物体の知覚についての授業から、得て、そして考えたことを書く。

 私たちの脳は、例えば紙の上のような2Dの世界のものでも、3Dの、奥行きがあるものとして知覚することができる。MagritteやEscherなどの「だまし絵」と呼ばれる作品で、それを実感することができる。これは芸術であり、「すごい」「きれい」「おもしろい」「ほほう」の感想でいいのかもしれないが、「どうして?」とも思える。「どうして、私たちは、そんな風に物体を見てしまうのだろう?」

 2Dを3Dにする視覚認知システムには、6つのルールがあるらしい。

1 Texture gradient: 点や線が規則的に並ぶ中に歪みや傾きがある。点や線が近づくところには「奥行き」を感じる。

2 Relative size: 小さいものは「遠く」に、大きいものは「近く」に。
3 Occlusion: ある物体の上に「かぶっている」ものは、「手前」に感じる。

4 Aerial Perspective: ぼんやり「もや」がかかっていると、「遠く」に感じる。

5 Motion Paraliax: 同じ時間幅で、大きく動くものは「手前に」、小さく動くものは「遠く」に。
6 Stereopsis: 左右の眼球の視点の「ずれ」も、「奥行き」を生む。

このルールに従って絵を描くと、なるほど、確かに「奥行き」、つまり3Dの世界が紙の上に誕生する。これはなかなかおもしろい。この記事を読まれた方も、是非、お近くの紙に落書きをしてみていただきたい。

 一体このような知識は、芸術以外に、何に生かされるのだろうか。何か、具体的な価値はあるのだろうか。考えた。「おもしろい」だけでは、つまらない。

 私のフィールド、日本語教育でどう生かせるか、考える。

 まず、絵を授業や配布教材として使用する場合、このような具体的な知識を持っておくと、描きやすいだろう。あまりにも直接的だが、「手前」「向こう側」「へこむ」「とびでる」「凹凸」などの語彙を説明するとき、ルールに従ってさらさらと絵が描けたら、楽かもしれない。

 これは、ちょっと短絡的だった。

  やはり日本語の中でも物体知覚に深く関わるのは、文字、とくに漢字ではないか。漢字は、逆に3Dである必要はない。2Dでいい。だから、「田」や「月」「唯」など、いくつかの同じ長さ線が、同じ方向に走っている形を持つ漢字の場合、等間隔で同じ方向でなければ、なんだか不思議なことになる。

 漢字だけか?というと、もう少し考えると、ひらがな、カタカナだって、そうかもしれない。たとえば「あ」。左半分がやたら込み入っているようにも思えるが、しかし、線と線は、実はそんなに離れていない。右のカーブがやたら大きいと、それはやはり、「変」に思える。カタカナの「シ」などもそうだろう。上の2本と、下の1本の関係は、重要である。

 ・・・「シ」。これは「ツ」とどのように区別しているのだろう。もっと言えば、「区別」とは、どのように行われているのだろう。漢字は「いくつかのパーツが集まっている」というものの、どういう単位で、「パーツ」と認識しているのだろう。

 これもルールがあるのだ。長くなったので、また次回。

 Cognitive Psychology、素晴らしい。是非、この研究成果を、学際的に応用したいものである。「おもしろい」。

(挿絵は、Vasarely, Escher, Magritteの作品です)


Neuro sensory system - vision [Cognitive Psychology]

 脳研究は、ここ最近急成長しているらしい。しかも、幅広い分野で。医学、臨床はもちろんのこと、私のフィールドでもある言語、教育の分野でも、平たく言えば「ホット」なトピックである。

 週3回、各50分の"Cognitive Psychology"のコースは、毎回興味深い。面白い。先日のクラスで、特に面白いと思ったこと。

1 Split Brain patients(分離脳患者の症例)
 脳には、左脳と右脳があり、それぞれが異なる役割をしている。左が[language/analysis]、右が[perceptual/spatial]であるということ。そして、脳は、身体の各部と、ちょうど対照的につながっていること(つまり、右脳は体の左側、左手、左目、左耳につながっていること)。そこまでは、知っていた。

 「つまりどういうことか、具体的に説明できる?」という話題になり、そこからが面白かった。というか、どういうことかが、本当に実感できた。

 ー『脳分離症を患っている患者さんの前の画面の、左半分に"key"と提示したらどうなるか』
Q1「画面にはなんと書いてありますか?」・・・・答えられない
  ー右脳が文字をとらえても、言語を解析する左脳に届いていない(画面の右側には何もない)から発話できない。
Q2「画面のものを選んで手にとってください」・・・・左手でだけ取れる
  ー左目でとらえたものは、体の左側にしかつながらないから。

 論理クイズのようでもあり、発想が俗っぽいが、頭の体操になる。

2 映画"Matrix"の"matrix"って? ー 本当に「見て」なくても、「見た」と思える
 脳は、ヒトの知覚の全てを司っている。脳にコンピュータから情報を送り込めば、実際に体はただベットで寝ているだけでも、ヒトは、「色んなところに行って、色んなものを見て、色んなことを話して、痛い思いもして・・・」という経験を持った気になることができる。これが映画"Matrix"で起こっていたこと。

 面白いと思ったのは、こんなびっくりなことを、実生活で応用しているある男性の話を聞いたところだった。

 その男性は、目に障害があり、何も見えない。脳に障害はない。何かを「見る」ために、彼はある特殊な「メガネ」を装着する。その「メガネ」は、これまた特殊なケーブルで、脳につながっている。「脳につながっている」というのは、まさにその通りの状態で、彼の頭、頭蓋骨にはぽっこり穴が空いていて、そこにロボット的な窓口が取り付けられ、そこを通してケーブルが脳につながっている。「メガネ」は、実はデジタル・ビデオのようになっていて、目の前で捉えた映像の情報をケーブルを通して脳に送る。そして、彼の脳は、正常にその情報を「知覚」する。という流れ。

 この「ぽっこり」の穴は、彼の左耳の後ろのちょっと上、あたりにあった。本当に「ぽっこり」で仰天した。全然グロテスクではなかった。で、冷静に考えたのが、「どうして後頭部じゃないんだろう」。視覚情報を統制している"Primary visual cortex"は、脳の後ろのあたりにある、と先生は2日前のクラスで説明したのだ。なんで?なんで?

 質問しようにも、100人は入ろうかという映画館のような教室で、早口に手際よく続けられる先生の説明を遮って手を上げる勇気は、私にはなかった。

 脳研究の話を聞く度に、全く脳はなんてすごい仕事をしているんだろうと、自分もその脳を使っている一人だが、素直に感心する。がんばれ、私の脳。


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