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学ぶことの動機 [Pedagogy]

 一時帰国中に、久しぶりに友だちに会った。彼女とは、大学院生時代に、同じポットの湯からカップラーメンをすすった仲。彼女も今、「日本語教師」と呼ばれる仕事に就いている。そして、彼女自身タイで活躍していた時代もあり、仕事のことも、タイのことも、話す話題は山ほど。そんな中から、「教育」について、考えさせられたこと。

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 「学習」において、その動機は重要だ。「動機づけ」という言葉もある。しかし、ふと思うと、教師側は、その動機をうまく組み込み、本当に「学習」につなげることができているのかどうか、というと、難しいところだ。

 動機を道具、もしくは口実に、学習者に無理な学習を強いている。このようなことは、よく起こっているのではないだろうか。私自身の経験を振り返っても、である。「○○試験に合格しないといけないでしょ」「○○大学に入らないといけないでしょ」「日本語が上達しないと生活で○○ができないでしょ」と言いながら、様々なことを、詰め込む。

 実際、「詰め込む」ことが必要な場合もある。短期的に集中して学習し、相当なレベルの大学に入ろうとする日本語学習者はいる。わたしが問題にしたいのは、そこではなく、それを口実に使っているというところ。

 授業の組み立て、学習項目の提出のしかた、道具の使い方、時間と量の関係、雰囲気づくり、もろもろについて、本当に、学習者が吸収していけるように、吸収したいと思えるように、考えているか。学習者、というよりも、「人間」として、その基本的な学習能力を考えているか、ということ。

 人間は、学ぶ生き物である。「どうして?」と思えば、知りたくなる。「もうちょっと頑張ればできる」と思えば、もうちょっと頑張ることができる。できて、気持ちがよければ、もっとできるようになりたい、と思う。学習が役に立つと知れば、学習を続ける。学ぶことの基本。

 それでも、そんな「基本」を教師は忘れてしまう。学習者が成人であれば、なおさら。

 学習者は、年齢が上がり、自己コントロール力もある程度上がれば、無茶な授業にもついてくる。「自習」の能力もある。成人であれば、社会性も持っているわけだから、自分が居心地が悪いと思っていても、それを教室で口にすることはそうそうない。

 そんなところに、「○○ができるようにならないと、○○になれないでしょ」などと、動機を刷り込まれると、もう、これは洗脳に近づいてくる。授業自体が、自分たちの学習の喜びを刺激することのない、質の低いものであっても、その、外から刷り込まれた動機によって、学習者の、自己コントロール能力、自習力は、どんどん発揮されていく。

 教師が、「基本」を無視して授業を進めていても、なかなか気づかないわけである。

 「タイの子どもって、特に具体的な学習目的もないし、それで大変なんじゃない?」と、カレーをつつきながらの友人のコメント。

 すぐに答えられなかったけど、それでも、「学習目的がないから大変」ということには、すぐにノーと言えた。そうじゃない。子どもたちは、はっきりとした目的を持っている。彼らは、「学習することは息をすること」のようであり、「学習することは楽しい」のだ。

 わたしは、これまで、学習者の学習目的を見つけ(○級に合格しないといけない)、それを彼らに口頭で押しつけ(○級に合格するためには、これだけテストを受けないといけない)、そうすることで、自分の無茶な授業(テストで良い点を取るための学習)も推し進めることができていた。これまでの学習者が、成人だったからだ。

 子どもはそうはいかない。「いやだ」「先生、下手」「なんでそんなことしないといけないの?」素直な言葉がどんどん口から出てくる。その度に、わたしの胸にぐさぐさと刺さるのだ。

 だから、わたしは、今の学校に来たばかりのとき、大変だったんだ。自分の、「教師」としての質の低さに、ことごとく、容赦なく、気づかされるのだ。子どもたちに、いろんなことを教えられている。

 「日本語教育」という世界では、「日本語」が強すぎて、「教育」が薄すぎる。そんな世界で成人を相手に数年働いてきたわたしは、「教育」について非常に鈍くなってしまっている。

 Middle Schoolという、今の職場は、周りの同僚といえば、当たり前だが、「教育」のプロたちだ。教育畑の人たちだ。子どもの扱いは専門である。

 子どもたちから、同僚から、多くを学ぼう、と改めて自分に誓うことになった。今は、修行の時だ。考える機会を与えてくれた友人に、感謝。


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湯呑み

探究心と向上心は持ち続けたいですね。
大人になっても脳ミソのしわをたくさん作れるかなぁ。
by 湯呑み (2007-07-14 10:06) 

faa

ありがと~。やっぱりいろいろ話すといろいろ刺激があって
むくむくと考えるネタ(?)が出てくるよね。

私、こないだ河合隼雄先生とかが講演しているものを本にした
「学ぶ力」っての読んだの。学ぶってどういうことなんだろう?というのを
いろんな先生が話しているんだけど、そのうち二人の人が
「楽しいこと」ってのを挙げていました。これに本当に同感。

でも、「目的がない」とかって言う言葉を自然に発するわけね。わたし。
「日本の」(←これは偏見だと思うけど、今の私が置かれている状況は
 これを発するような状況なの)日本語教育には、楽しさを求める余地が
あまり残されていなくて、それに感化されつつあるのかな。
早いこと、次の世界に行かなければ…(?!)。
by faa (2007-07-14 21:30) 

mamemama

>湯呑みさん
子どもたちの学習もすごいけど、大人だって負けていられません。
楽しいことは、がんばるもの。楽しいことを見つけられたらいいです。

>faaぴ
うんうん。話すって、素晴らしいねー。
ひとりで考えていても出てこない言葉が、意外と自分の口をついて出てきたりして、あ、自分こんなこと考えとったんじゃ、とか、そういうの、あるよね。話せてよかったわー。

「楽しいこと」は、わたしも本当に同感。
こんな簡単なこと、どうして、忘れてしまうんだろうね。

わたしたち、やっぱり、どこか、洗脳というか、空気に飲まれてしまっている。人が言語を学ぶって何なんだ、とか、自分(先生)って誰だ、とか、基本的なところを置いて、手先目先の具体的なhow toにすぐ飛びついてしまう。

faaぴ、日本語の先生としての、「楽しい」と思えることに出会ってね。アンテナに、まず、目を覚ましてもらって、ね。
by mamemama (2007-07-16 01:37) 

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