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English only, please! [Pedagogy]

 我が校の、大きな大きなポリシー。"English only!" わたしは、これに対して、totally negativeでもないけど、かといって、totally positiveでもない。

 明日は新しい学年の初日。それに向けて、先生たちは準備に忙しい。学年ごとでチームを組んだりして、生徒の風紀、学校生活はもちろんだけど、それより、なにより、この、"English only, please"をどうやって進めていけるか、というのが課題だ。

 我が校は、フロアーごとに学年が分かれている。わたしがJapaneseのクラスを持っているのは、4階の、6年生のフロアー。6年生の先生と話す。彼らはミーティングを持った結果、対策を練り出すことができ、そして、わたしにも協力してもらえるといいんだけど、と言う。

 こんなことをするらしい。

*そのクラス、もしくはクラスの前後、近所で英語以外を話している生徒をみつけたら、見つけた生徒は、各教室のドアに張ってある紙に、名前とクラスを書く

*担任の先生は、時間があれば、廊下を歩く

*自分の担任の生徒を紙に見つけたら、ちょっと時間をとってお話する

 これをやっているうちに、タイ語を話す子が減るんじゃないか、というのが彼らの考え。わたしは、生徒同士がやる、というところに、「こわさ」を感じて、結局お断りした。

 英語を話す、ということは、タイ語が母語の子どもにとって、extraの労力を必要とすること。だから、「何か」がいる。何か、後押しするもの。引っ張るもの。何か。

 人は、怒られて何かをするようになる生き物ではない。やりたい、やるといいことがある、と心が思うようになって、そして、何かをするんだ。

 「英語を話してくれて、ありがとう。わたしの言葉を、あなたは労力を費やして話してくれて、ありがとう。あなたと話すことができて、嬉しいわ」

 わたしに、そう言った人がいた。彼女の言葉は、これまでわたしが受けたどんな言葉よりも、「もっと英語を話したい」とわたしに思わせた。

 母語話者は、えばりがち。えらそうに、なりがち。ちょっと、待って。「ありがとう」「嬉しい」という気持ちを、前面に出していけないものだろうか。

 もっと詳しく書きたいけど、授業の準備があるので、やめ。

 わたしは、初日のクラスで、「コミュニケーション・ゲーム」をする。実際のコミュニケーションのなかで、言語は、どれほどの力を持っているか。言語があるとないとでは、どれほど違ってくるか、というのを感じてもらいたいゲーム。

 結論はね。「言語なんて、ほんの一部じゃん」ということ。それに気がついてほしい。言葉が分かたなくたって、ジェスチャー、目の表情、相手との距離、いろんなことで、わたしたちは相手のメッセージを読み取ることができる。しかし、それは、ただし、「メッセージを読み取りたい」「メッセージを伝えたい」と、双方が思っているときだけ。

 わたしの、直説法をまれに用いる、言語のシャワーを勢いよくざざざーっと浴びせるクラスに、前向きに取り組んで欲しい。「先生、何言ってるんだろう?」という目を、耳を向けてほしい。コミュニケーションは、そこから。言語なんて、あとから。


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コメント 4

こんにちわ。母国語以外の言語を話そうとすると、最初は困難があって当たり前という趣旨ですか?ということですと、経験があり、共感したので、コメントを
残しました。
素敵な仕事が、これからも続くことを祈っています。
by (2007-08-23 00:41) 

mamemama

んーーー???コメントありがとうございます。
でも、困難がある、という主旨ではなく、間反対ですが。
言語について難しく考えなくても、人間はコミュニケーションができるものなんだ、というのに気がついてほしかったのです。

辛いけど、がんばれ!という、日本的体育会的トレーニングは、よくないです。言葉の勉強は、楽しくなくっちゃ。

仕事、素敵に映ったみたいで、嬉しいような、どぎまぎするような。その仕事のことを、これからも書いて行きますので、ちょくちょく覗いてください。
by mamemama (2007-08-23 06:17) 

sとこ

久しぶりにこっちを見てみたー.

「わたしの言葉を使ってくれてありがとう」って忘れてはいかんね.
「正しく」話すことは大事だけど,それよりも
「話したい」と思って,頑張って伝えようとしてくれてることを感謝せんとね.

語学って,頑張って覚えるより,「これをこの人に伝えたい!」って
気持ちがないと上達しないし,うちは頑張れない.

新しい言葉を覚えると,言葉を使って気持ちを伝え合える人が増えるって
ことを忘れんようにせんとなー,と思ったのです.
by sとこ (2007-08-27 21:50) 

mamemama

わたしはね、思うわけ。
非母語話者同士、それか、非母語話者のいる集団のやりとりで、意思疎通がうまくいかないとき、それは、母語話者に大きな責任がある、と。

「分かりたい」という母語話者の気持ちと、「分かれ」という非母語話者の気持ち。下手すると、「分かれ」のほうばかり力入ってるかも。「分かりたい」とする前に、間違いを見つけては、そのせいにしているかも。それが続くと、「分かれ」のパワーってしぼんでしまって、「分からんならもういい」になる。

誰だって、何かの言語の母語話者であると同時に、非母語話者なんじゃもんね。
by mamemama (2007-08-29 02:28) 

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