Crisis of Identity [Teaching]
ある生徒の父兄が、わたしを訪ねてオフィスにやってきた。その子のクラスは、レベル差があり、マネージメントにいつも頭を悩ませ、また、子どもとの関係作りも、難航しているクラス。「あー、ついに父兄の苦情に発展したか」、と、身構え、しかし、腰は引け気味、気持ちはどーんより。
お母さんが部屋に入ってきた。にこにこ。そして、背中に子ども、Prlちゃんがくすくす言いながら隠れている。ん???苦情じゃない?
話をすると、Prlちゃんのお母さんは、タイの公立学校で、現役の先生。やってきたてで、しどろもどろ、失敗を繰り返したりしている私の話を聞いて、励ましたくてわざわざ来てくださったらしい。あー、涙出る。
中学生は、まだ子どもでも、わがままがどんどん出てくる。反抗的にもなる。悪口やいたずら、つくウソの質も悪くなってくる。それには、がつんと、強気に出ないといけないこと。なんだかんだ言っても、先生には勝てないんだ、としっかり見せないといけないこと。
教師の「先輩」として、貴重な言葉をいただく。心に響く。
いろいろ話を聞くなかで、一番印象に残ったこと。
「欧米に染まって、染まりすぎて、子どもたちは、タイであることを忘れていきます。タイやアジアの、美しく誇るべき、謙虚さ、従順さ、人を尊敬する心、礼儀を重んじる心を、インターナショナルスクールに入った子どもは、簡単に失ってしまいます。わたしは、この子をこの学校に入れましたが、タイの心を忘れるな、と、何度も言い聞かせています。実際、この学校の子どもたちを見て、正直、失望することも多いです。日本から来た日本人であるmamemama先生は、どう思いますか?日本に、タイと共通する、美しいものがあるとしたら、わたしは、先生に、学校で、生徒に教えて欲しいのです。」
これを聞いて、わたしは確信した。わたしは、ここにいて、欧米一色のインターナショナルスクールにいて、でも、アジアを貫いていいんだ。日本を出していいんだ。「わたしは、この方針だ」と、声を大にして、堂々と言っていいんだ。
それでも、わたしのidentityは、大変に、揺らぐ。それは、とても、辛いこと。
きっと、子どもたちこそ、この、"crisis of identity"の波を受けている。
この辛い波を乗り越える、もっとも簡単な方法。それは、どれにするかをとにかく決めてしまい、あとは、それにどっぷり浸かること。自分はどっちなんだろう、どっちになりたいんだろう、それぞれのいいところ、悪いところってなんだろう、の、悩む課程は、スルー。
わたしは、それは、よくないsolutionだと思っている。大人だし、いろんな文化を体験してきたから、分かる。でも、子どもは分からない。
先生は、欧米人。学校は、"English only"を叫ぶ。親も、英語を話せることはいいことだ、と言う。英語が話せることは、誇りだし、すごいことだ、と言う。翻って、英語が話せる人は、すごい、偉い、ということにも、なる。そんな課程で育ち、子どもは、その意識を、どんどん吸収していく。子どもは、自分で判断が、まだうまくできない。
だから、簡単な方向に、進んでいく。欧米に染まること。それが、一番簡単なこと。タイである親も、親戚も、気がついたら、もう止められなくなっている。
わたしは、どうしたらいいんだろう。と、それでもまだ、思う。
それは、わたし自身、まだ、"crisis of identity"の波の大きなチューブに、飲み込まれているところだから。抜け出せていないから。
これは、辛い。辛いです。
タイでインターで教えるって、そういうことになるんだね。
興味深いわ…。
うん、悩んで悩んで、悩みながらやっていって、
自分なりに何かが生まれるんじゃろうね。
悩まず、安易にその文化に染まらんで欲しいね。学生も、先生も。
by faa (2007-08-26 22:17)
日本のインターも、そんな感じなのかもな、と思う。
一度見学してみたいよ。
日本である自分が、タイにつくか、アメリカにつくか、まぜこぜのままでいるか、それが、まだ私はよくわかってないんよね。もしかしたら、わたしがさっさとはっきりさせてしまって、「これが日本であり、アジアなのです」とか言ったら、意外と子どもは素直についてくるかも、という気もするけど。
染まるのと、洗い流すのとでは、やっぱり染まるほうが簡単なのかな。そうだよな。
by mamemama (2007-08-29 02:17)
理想論かもしれんけど、誰でも先生である前に一人の人間だと思う。
子どもには、結論だけばーんと与えた方が、楽なときもあると思うし
そうじゃないとやっていけないこともあると思う。
でもさ、私は先生の悩む姿とか、そういうのがすごく大切なんじゃないかなって
思うんだよね。
私だって悩んでいるんだと、行ってもいいときもあると思う。
もちろん、駄目なときもあるよね…。難しいね。
洗い流すのも結構大変だと思うけどー。心から洗い流せるまでの葛藤が。
by faa (2007-08-29 20:40)
一番困るシチュエーションとしては、「叱るとき」かな。日本の感覚的にはこれは叱りたい、でも待てよ、アメリカだったらいいのかな。なんて考えている場合ではないからね。そんなこと考えている間に、子どもはにたにたして、どっかに行ってしまうから。
叱ったり叱らなかったり、というのもあってはならないし。
「mamemama先生も、大変だったんだな」と、彼らが大人になってから気づくぐらいがいいのかな、と思ってます。今の彼らの前では、行動は揺れるべきでない。
そうだよ。洗い流すのこそ、大変だよ。不可能かもしれないね。
by mamemama (2007-08-30 00:53)
ああわかる。叱るときは揺れてはいけないよね。
揺れるぐらいなら、叱るなと思う。相談か考えを伝えるかにする。
この人のためにならないと確信がないと叱れない。
そうだね。悩む姿を見せられるシチュエーションのほうが
少ないかもなー。
洗い流すかー。あたしも無理かも。って、考えてる(悩んでる)
自分がすきなのか?そうなのか?
by faa (2007-08-30 21:14)
返事おそくなってごめんね。
悩む姿を見せるのは、それでも、いい行動。
ただし、見せるのは、生徒じゃなくて、同僚の先生ね。
「悩んでるー」「分からんー」「辛いよー」と声を大にして言ってみたら、どんどん、いろいろ、救いの手が差しのべられるもので。
そんなことができることは、欧米の人々の素敵なところであり、日本の人々の磨きが足りないところ。いいところは、どんどん染まろうと思う。洗い流さなくても、上に塗っていくのが、いいのかな。
by mamemama (2007-09-04 00:11)